羊が通りを歩いていたら街頭演説が聞こえてきた。象だ。
人が集まってしんとして時々わぁっと盛り上がる。
象の姿は年齢不詳の青春みたいだと羊は思いながら、少し離れたところで見ていた。
「昔の侍は自らのプライドのためだけに死んじまうらしい。そんな我が友よさらば。
胸を張って出かけようぜ、この際デタラメでも何でもいいさ。」
象の声は高ぶり、人だかりは象の名を呼び、象は周囲を罵倒し、
いつものおどけたスタイルで張り切っていた。
一体象という人物、どういう人物なのだろうと思うたびに羊は笑いがこみ上げた。
確かなことは、何か悲しみの果てでも見てそれを負って生きていることだ。
家に帰る前に羊のお気に入りのダムを覗き込みに行った。
思ったとおり、ダムの中に少年のままのかつての親友が鼻唄を歌いながら、
多くの友達に囲まれて暮らしていた。
「僕のことは忘れただろう。ひどいのはお互い様だ。
それにしても一番ひどい仕打ちは、僕たちが若かったせいかもしれない。」
羊はダムに煙草を投げ込んだ。
謎の呪文を歌う鳥が飛んでいる。
「彼女はそんなに寂しがり屋じゃない、ルルルルルル、幸福とは・・・。」
羊が空を見上げても鳥は見つからない。
金貨を隠した虎が呼びかけた。「君の欲しいものは何かね?この金貨かい?」
しかしながら、手を伸ばすと虎はふっと消えた。
羊は混乱しながらまず鳥に話しかけた。
「幸福とは?その続きが知りたいんだ。教えてくれないか?」鳥は何も語らない。
それならと虎に話しかけた。
「その金貨下さい。僕も金貨が欲しい。
人が持っているようなオーソドックスな金貨が欲しいんです。」
虎は「焦らず3日待て。」と答えた。
羊はもう一度鳥に話しかけた。「歌の続きを歌って下さい。」
そうすると、
「教えてあげてもいいけど、デタラメな童話だよ。君のためになるかどうか分からない。」
と言いながら木陰から老人が出てきた。
「あなたが歌っていたんですか?てっきり鳥の鳴き声かと思いました。
僕はその歌に覚えがあって、何だかとても懐かしくなってしまうのです。」
老人は黙って横に腰を下ろし、皺だらけの手で煙草を取り出し、それから羊に話しかけた。
「知り合いがね、このダムの中にいるんだよ。信じられるかい?
生きたままこの水底で暮らしているんだ。まぁいいさ。自分の手で沈めたのだから。」
それからまた歌いながら消えて行った。
「彼女はそんなに寂しがり屋じゃない、ルルルルルル、幸福とは・・・。」
「何と奇妙な一日だろう、いろんな人が明滅して混乱させようとしている。」
羊は夕立ちを待ちながら座り込んで歌を思い出していた。
そしてとうとう思い出した。時間をかけたわりにくだらない歌だ。
「幸福とは暖かい拳銃、本当さ。」
そして自分の本当の幸福とは何だろうと思った時に、なぜか蟹の姿が浮かんだ。
今まで親友といえば悲しみの果てを連想していたのに、
幸福ならばとほとんど何も知らない蟹のことを思い出すのは何故だろう。
そんなことを思いながらダムの横で羊は蟹に手紙を書いた。