羊の頭上を虫がうるさく飛び交い、ただでさえ落ち込む気持ちに拍車をかけ、
羊は黙って席を立った。
上の空、溜息、空想、現実逃避・・・それらが羊の楽しみなのに、
最近の羊の思考は止まりがちで何か起こりそうな気がしてじっくり考え込むのだった。
あいにくの曇り空で季節のわりには寒くて、
ちょっと震えながらあるいは凍えながら立ち尽くしていた。
それから数日前に見た不思議な夢を思い出すと悲しくなってしまった。
悲しいことは毎日少しずつ増えてゆくもんだ・・・と思った時に、後で声が聞こえた。
「悲しいことは毎日少しずつ増えてゆくもんだね、羊君。
ああ、久しぶりのような気がする。ちょっと心配で羊君の様子を伺いに来てやった。
ただの暇つぶしでもある。」
象の声に羊は本来の気分を取り戻し、勢いよく話すのだった。
「象さん。」
羊は象が暇つぶしではなく、必要があって自分の側に来てくれているのを分かっていた。
「象さん。僕の日常は色々起こるし、これからも色々ありそうなんだ。
でも本来の僕のココロに火を点すのは僕しかいない。
さっき、金貨をくれるかもしれない自称虎に接触した。あちらから僕のところへ来たんだ。
ぬか喜びはできないが、今度こそ3等金貨が手に入るかもしれない。
もちろん入らないかもしれないけど、でもやり取りに手応えがあったんだ。
あまり言葉にできないが、とにかく羊を数えていて良かったかもしれない。
そりゃ、まだ分からないけど・・・。」
象は風のように笑って髪をなびかせながら羊の肩を叩いた。
「羊君、落ち着けよ。ぬか喜びにならないように、手に入ってから喜べばいいだろう?
ほらほら煙草でも吸いな。」
めずらしく象から煙草を差し出した。羊はそれを受け取り、すぐに火をつけた。
「羊君、もしかして本当に忘れたのかい?かつての親友を。
川の匂いを、月明かり、ビール、煙草、深夜テレビ゙を・・・。」
象は次第に言葉を得意な口笛に乗せ変え、風のように鼻唄を歌った。
羊は少し冷静になり、目を閉じて思い浮かべるのだった。
そして忘れたくないと思った時に、
何処か罪悪感すら感じてやまないあのダムの出来事が頭をよぎって、唇を噛み締めた。
「僕はどうしていいか分からない。少年は生きている限りいつしか青年になっちまう。
そしてそれなりに適応しなくしゃならない。でも僕はできることならずっと少年でいたい。
無理なら極端だがあなたのようにカリスマ的な青年になるしかない。」
象はふっと笑ってこう答えた。
「俺は青年ではなく、いつまでも少年のつもりだが。
成功してもその後道を失っても、自分のココロの在り方は何にも変わっちゃいないさ。
無理に社会に適応するのもやめたし、常識人ぶるのもやめた。
焦るな羊君。毎日が悲しみと背中合わせで苦しいのも、君が若いからだ。」
羊はダム人たちを思い、少しココロを掻き立てるように聴こえる象の口笛に、
いっそ時が止まればいいと願った。